ff20dfe783cfe37fbe8ca70e7a22d4f9_s

これは先日、電車に揺られながら知人との会話を思い返している時に
ふと頭に浮かんだ疑問である。

ちなみに、その会話というのが、
「落語をやっているというとだけでこうも皆に驚かれるのは何故だろう?」
というものであった。
いや、これは本当に、話した相手にはまず間違いなく驚かれる。
私の経歴に「高卒から自衛隊に6年いました」というものがあるのだが、
これと同じくらいに驚かれる。

まあ、自衛隊に6年いて、その後社会人になって落語を始めているなんて
そうそういないから、まあなんとなく分からなくもないのだが、

「あんな古典芸能を何故やっているのか?」といった怪奇の目もあるだろうし、
「話すのが苦手で間も悪いお前がよくやるな」といった・・・まあ、これもまた怪奇の目か。

驚くという行為は、その人の常識や価値観からはみ出したものに出くわした時に出てしまうものだ。
まあそれが発言のたびに驚かれるということは、「ちょっと変わった人」ということなのだろう。
それ自体は自覚もあるので特に意見はない(笑)よく言われる。
さて、さらに話を先に進めよう。
この”驚かれた”後に何があるか、お分かりになる方はいらっしゃるだろうか。

「何故それをやっているのですか?」
「何を目指しているのですか?」

といった質問がくるのである。

「好きだからです」
「憧れの落語家のように落語を出来るようになってみたい。目指しているのはそれだけです」

と答える。
別に何も特異なことはない。
皆さんにもごく普通にある感情である。

イチローに憧れて野球をやり始めるように、
英会話が出来るビジネスマンに憧れて英語を学び始めるように、
平野レミに憧れて料理を始めるよう・・・っと、これは違うか。
栗原はるみに憧れて料理を研究するように、
私は立川談志に憧れて落語を始めたということである。
そうすると、「将来はプロを目指しているのですか?」と続けて冗談半分に言われるのだが、
そういう時は「いやいやそんなつもりはありません」か、
「人生何があるか分かりませんからね。もしかしたら何年後かに落語家になっているかもしれません」
と相手と状況に応じて返答するようにしている。

と、ここまで来てやっと冒頭のフレーズにたどり着くのである。

「落語家にならなれければプロにはなれないのか?」
「弟子入りしたらプロなのか? そもそもプロとアマの違いって何なのだろう」
これを突き止めるには、プロの定義をまずははっきりさせた方が良さそうだ。
それに当てはまらないものはアマだといえばいいだけだからだ。

ではプロとはなんだろうか?
真っ先に頭に浮かぶのは、『お金をいただいて仕事が出来る』であるがこれはどうだろうか?
まあ、これは誰も納得の理論である。

だがお金をいただいていなければプロではないか?
これはNOである。

例えば、『趣味で50年の間、〇〇を観察・研究し続けた博士』がいたとしよう。
この方もプロとは言えないだろうか。

50年も観察・研究し続ける人はそうはいない。
同じ事柄に興味を持っている人がいたら、まず意見を聞きにいくだろう。
『その第一人者として認められる』ということもプロの定義に入ってきそうだ。
他には、これはどうだろうか。
『私は〇〇のプロだ』と宣言すること。だ。
まあ少なくともプロだと思っている人間は本人1人はいるのだから、
スキルに関係なく、姿勢や意識という意味ではプロなのかもしれない。
ざっと3つほど書いてみたが、全てに共通していることは、
やはり『自分以外の、いわゆる”他人”がプロと認めるかどうか』
がプロの定義であり、アマとの違いのようだ。

プロといってもピンからキリまであり、
ファンの人数や契約数、稼ぐ金額の桁数、メディアの露出度などなど、
あらゆる数字で競い、順位がついていく。
それはアマには中々ないものだろう。

逆説的にいえば、他人がプロと認められたらアマを卒業出来るということなのかもしれない。

なるほど。
あれ、そうなると、
「将来はプロを目指しているのですか?」という問いに対しては、
「特に目指していませんが、他人がプロと認めた時にはプロなのでしょうね」
とも答えられるな。
まあ、その結果、なんとも高飛車で嫌なやつと思われておしまいではあるが(笑)

だが、自分の好きなことに対しては、やはり”プロ”と言われてみたい。
そう思ってしまうのは、一個人としての”ロマン”なのかもしれない。