通勤時間

 

帰りの電車、浴衣を着ているカップルが居る。
「はて? 今日はどこぞで花火でもあったのだろうか」

その隣には顔を真っ赤にした酔っ払いのおじさんがいる。
「連休は仕事だったのだろうか?」
もう、家に帰ったらすぐに寝てしまいそうな様子で吊り革に辛うじて捕まっている。
いや、捕まっているというより絡まっているといった方が正しいのか?

向かいには立ったままゲーム機に熱中している20代の青年がいる
「スーツを着ているということは社会人だろうか?」
ふと周りを見渡してみるとほぼ皆がスマホをイジっている。
音楽を聴いたり、電子書籍を読んだり、皆想い想いの時間を過ごしている。

恐らくここにいるほとんどの方は気づいてはいないのだが、
電車は人生において貴重なサードプレイスである。
サードプレイスとは、自宅でも仕事場でもない所を指す。

幾つか前のブログでも書いたが、スターバックスコーヒーがこのサードプレイスという概念を掲げているので参考にされたい。

さて、話を元に戻そう。
実はこのサードプレイスという概念を当てはめてみることによって
通勤時間というものはあっという間にネガティヴなモノからポジティブなモノへ変わってしまう。

『通勤時間が往復2時間』
というとゲンナリしてしまいそうだが、
『サードプレイスに2時間滞在する』
というと、何か有意義な時間を過ごしているような気がしてくる。
どうだろうか? 言い方一つでこの違い。
本当に不思議なものである。
あっという間に自分の時間が2時間も出来るのである。
1週間なら14時間、1ヶ月なら60時間、一年なら730時間と改めて意識してみると膨大な時間である。

そしてサードプレイスでは皆が想い想いの時間を過ごす。
ある人は今日の花火の余韻に浸り、
ある人は今日の居酒屋の美味しかった食べ物や面白い話を思い出し
ある人は日中は現実と必死に向き合った分の現実逃避をし、
ある人は音楽を聴いて、またある人は読書をしてストレスを発散するのである。

ひょっとしたら、この通勤時間は私達にとって欠かせない潤滑油のようなものかもしれない。
現実と現実の狭間にある異空間のような存在といってもいいかもしれない。
それがあるから平凡に思える毎日が繰り返し繰り返していけるのである。
そう考えると満員電車が嫌な理由は、足を踏まれたり、突き飛ばされたり、小突かれたりするストレスの塊で、そこは異空間ではなく現実になるからなのかもしれない。

と、ふと最寄り駅のアナウンスが聞こえて来た所、でこの創作文も終わりに差し掛かる。
「ああ、そろそろ終わりか」
と思うと途端に愛おしく切なくなってしまう。
こうして言葉にしてみると普段何気なく過ごしていたものも特別になる。

実は私達は言葉にしないだけで特別な幸せな時間を過ごしているのかもしれない。
そんなささやかな魔法に気づいた連休明けの仕事帰りである。