ネタ

【ネタが尽きてしまった時には】

「ネタが尽きてしまった。さて、どうしよう。」

このブログを書き出すほんの数十分前までリアルに考えていたことである。
いや、恥ずかしながらボキャブラリーの少なさゆえ、ネタがホントにすっかり無くなってしまった。
何度か己の記憶の引き出しを開け閉めしてみたものの、面白そうなネタはとんと見当たらない。
すっからかん。とはまさにこのことである。

「ああ、まずいことになった。」

毎日、ブログを書くということを宣言しているという自分に対しての責任感。
昨日も帰りが遅くて疲れているから一日くらい休めよというリトル陸奥亭の誘惑。
早くネタを探さなきゃという焦燥感。

色んな感覚が頭の中でゴールのない追いかけっこをしている。
どこにゴールテープを張ろうかなぞとしばし思案を続けていたが、答えは皆目見当もつかない。

このネタ切れという現象は、ブログを書くこと以外にも、
仕事で新規営業をやっている方なんかは特に経験があるだろう。
主婦なら今夜の晩御飯どうしようかといったところか。
そういえば、さっきウチの嫁もそういってたっけ。

こんな状況はウエルカムではない。
むしろ1番遠ざけていたいものである。
この落胆からヤル気を出して立ち直るだけでもひと作業なのに、そこからネタを捻り出さなくてはならない。

ああ、考えれば考える程に憂鬱である。
だが、容赦なくこいつはやってくる。
ある日、「やあ!」と言って、とても爽やかに嫌味なくあたかも必然であるかのように気がつけばそこに佇んでいるのである。

なんて小憎たらしいやつなのか。
出来ればこれが現実ではないことさえ祈り始める。
現実逃避が出来たらどれだけ楽なことだろう。

と、そんな時である。
ふと、
『たく、面倒だなぁ。じゃあ、いっそのことこの頭の中での葛藤をブログにしたらいいじゃん!』
時々、うちのリトル陸奥亭は、こういうテキトーなようで絶妙な提案をしやがる。

「あ、それ面白いかも。」
案の定、そう思ってしまったからなんとも憎めないやつだ。
ただ単に藁をもすがるような思いだったから、良いなと感じたのかもしれないが、こちとらこれしか道はないようにも思える。
黙々と書く、書く、書く。そしてたまに消して、また書く。
見渡す限り草ぼうぼうの野原をかき分けて踏み潰し道を作り、出口を探すかのように一心不乱に突き進むのみである。

とまぁ、そんな具合に今日は「ネタが無い」ことがネタである。
随分と長いまくらはご愛嬌。陸奥亭ワールドをご堪能あれ。

※まくらとは・・・・・・落語の本題に入る前の小噺のこと

【”飽き”ないことが呼びこむ、新しい切り口】

実はここ最近の自分のブログ記事を読み返してみて、
「あー、上手く書けないなぁ」
と感じていた。

書くという事はとてつもなくパワーがいる作業だ。もうそれは書き切った時には、
「もう、今のおれの最高の文章だ!」と声高らかに言うのだが、
不思議なもんで、次の日に改めて読み返してみると、なんと不細工な記事なんだろうかと愕然としてしまう。
本当は修正したいが、それは許されない。
そんなものは『粋』ではない。

面倒くさいやつだと思われるかもしれない。
だが、良い事もある。
常に一発勝負だから『毎回新鮮』=『飽きが来ない』のだ。

その時の体調、テンション、周りの環境によって作品が変わる。
これが実に楽しい。自分でもどうなるか分からないからとてもワクワクする。
これは、落語をやり始めた時に決めたポリシーでもあって、
ことブログを書く時にも落語と同じ状況を意図的に作っているのである。

僕はこれを密かに『立川談志イズム』と呼んでいる。
かの家元は同じ演目でも、毎回新しい切り口と新しい解釈で変化をつけていた。
だからどこで演じたものが生涯の最高傑作になるか分からない。
一説では、『居残り佐平次』という滑稽噺(こっけいばなし)の最高傑作は、
地方の焼肉屋の二階で演じたものであると家元が言っていたという伝説もあるくらいだ。

「落語は寄席で、生で見るからこそ楽しい。」
と豪語していた家元らしい。
毎回期待に胸を躍らせて寄席に行くのである。
他に例えるなら、それはサッカーや野球をスタジアムで観るような、
好きなアーティストを武道館に見に行くような感覚と同じだ。

【ネタがないことをネタにした結果・・・・・・】

よくピンチはチャンスという言葉がある。
まさにこのネタ切れもピンチではあるが、こうしてそれをネタに出来たということは、つまりチャンスでもあったのだろう。

こういう時に必要なのは、『現場対応力』=『柔軟性』である。
いかにそれをチャンスに持っていくかしか考えない。
このブログのまくらのように、ウダウダ考えているだけムダだということである。
何一つ解決しない。

これまた立川談志の逸話であるが、
家元は生涯で一度だけ落語の途中で話しが飛んでしまったことがあった。
もう晩年も晩年、亡くなる前の話であるが、
この時、家元はどうしたかというと、
取り返しがつかなくなったその話を止めて、
全く別の演目を1番最初からやり始めたのである。
しかも、
「忘れちまったから、今度はこの話をやる。でも、途中でまた忘れちゃったら勘弁してね。」
という類のことを言って、笑いに変えたのである。

流石は家元!
と唸ってしまうエピソードである。
芸人は頭が良くなけりゃあ出来ないと言われているのも納得だ。

もうここまで読んできたあなたは既にお気づきかもしれないが、
本当に僕は立川談志という落語家が大好きだ。
話をしたこともなければ、会ったこともない。だが、その思想や芸に対する姿勢は本当に尊敬に値する。
だから、それを自分なりに表現していこうと思う。そう思ってこのブログを書き始めたということを今しがた思い出したところだ。

結果、まんまとピンチがチャンスになり、
ネタ切れをネタにしたら、新しいネタに発展した。

皆さんもネタ切れになった時に、ぜひこの記事を思い返していただけたら、幸せこの上ない。
さあ、あなたのネタ切れはいつなのか。
もはや楽しみになってきたのではないだろうか。

どうやら、ここでそろそろお時間のようである。
それではまた、明日。
あっ、ちなみに、冒頭の写真は、
実は”ネタ”と”ブタ”とかけ・・・・・・ブヒー!!